西武線と夏休み

どこへも行かない日に出会えた、忘れかけていた夏。

三連休の初日。久米川駅へ向かう道すがら、キャリーケースを持つ家族連れを見かけた。

梅雨明け一歩手前。
夏休みが始まった朝。
これからの全てを確信したような笑顔。
キャリーケースにまたがるお子さんの後ろ姿は、太陽のように明るかった。

間もなくやってきた黄色い電車が、すべてを飲み込んで都会へ走り去る。
そんな楽しげな姿とすれ違うたび、どういうわけだか自分の中の何かが削れていくような感覚を覚えてしまった。

行列や渋滞を乗り越えて、そこでしか経験できない物語を持ち帰ったりするのだろう。
それは自分にとって縁遠い何かなので、あのキャリーケースの行き先を、私が語ることは難しい。

しかし、このまちで見つけた、誰のものでもない夏の一コマなら、誰よりも伝えることができる。

有名な映えスポットじゃないけど。
始業式で自慢できないかもしれないけど。
白黒つけられなくてモヤモヤしちゃうけど。

西武園の夜空に咲いた花火がきれいだったこと。
歩道橋から見た、刺さるような西日が空堀川を照らしていたこと。
久米川の踏切脇で、まっすぐ咲いていた向日葵のこと。

夏を楽しむために必要なのは、自らが夏に耳を澄ませる能動的な姿勢、それだけなのだろう。

夕陽の差し込む線路沿い。買い物袋を下げて歩く人。踏切待ちの日陰探し。偶然の巡り合わせの世間話。閉店間際のパン屋さんのショーケース。やっと歳を重ねて理解したジョギングの意味。まだまだ、たくさん聞こえてきそうな気がした。

外へ向かう人もいれば、内の日常を淡々と歩く人も確かにいる。
案外、悪くない気がする。
いま見ている景色が伝えたいものに変化していくのを感じた。

まちの風景に目を凝らしていると、すっかり削れたところは元通りになった。削れたことすらも忘れてしまった。
SNS映えはしないかもしれないけれど、私には映えた。
夏がやってきた。満喫できるかは自信がない。
でも、もうこれで充分だと、心からそう思えた。

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