何もないまちに、見えてきたもの。
自分が住むまちのことに、気づけないのはなぜだろう?
西武線が高架になると耳にしたのは、ひと昔前のこと。
まちの景色は、一つずつ色を変えてきた。
次第に新しくなっていき、立派な景色に姿を変えていった。
次第に失われていき、見えなくなってしまった景色もあった。
新しくなったから失われたのか。
失われたから新しくなったのか。
どちらに思いが揺れているのか自問自答するが、答えはまだ見つからない。
久米川駅から東村山駅に向かう高架区間は、ひとつのアトラクションだ。
所要時間は2分、片道169円。
屋根より高い線路から、模型のように小さくなったまちを丸ごと見渡せる。
車窓の右からは、市役所を眼下に臨み、田無タワー、スカイツリー。
左からはトトロの森、多摩湖堤防、富士山。
ただ、地上に目を移せば、当たり前の日常も変わらずそこにある。
何もないまちなわけがない。
確かにある。
瞬間的に想いが強くなる。
今までは見えなかったものが見える、遠くまで分かる。
分からなかったものに光が当たる瞬間は、
どうしてこんなに心が動いてしまうのだろう。
でも、遠くまで見えて分かるようになったのに、
いちばん近い自分が分からない。
それまで見えていたものを、違う角度から見れたことに喜びを覚える。
今までの頭を塗り替える発見に、いつだって射貫かれてきた。
見えたということは、向こうからも見えているのかもしれない。
見えたと思った感動は、相手の感動要素に自分もなり得ていることに気付く。
誰かの想いに、気付かずに一役買っているかもしれない。
見えているだろうか、
届いてしまっただろうか。
それが分からなくても、走りつづけることはできるだろうか。
電車は移動できればいい乗り物だ。
いちいち何かを投影しなくても、その役目は十分に果たしている。
西武線は淡々としている。
今まで見えていなかったもの、
見えていたけど角度を変えると見えてきたもの。
東村山を出ていく電車は、少し空に近くなった。
ほかのまちでは珍しくないであろう、鉄道が高架を走る事実に驚き、喜ぶ。
駅の外から見えた始発待ちのプラットホームに、
それぞれが背負った物語を垣間見る。
一つひとつの物語が動きはじめたことを頭の中で想像する。
どうか無事に、目的地までたどり着いてくれればと思う。
送迎の車から聞こえた「いってきます」の声。
聞こえてこないまちの音。
踏切が沈黙を一蹴すると、黄色い電車が滑り込んで物語がはじまる。
ひとりずつの行き先に向かっていく。
その行き先は途方もない何かなのだろう。
少し高いところを走るようになった西武線。
線路はつづく、
少なくとも川越まではつづく。
いったいどれだけ運び、
どこまで届けられるだろうか。

