「日常は、未来の思い出」矢部太郎さん親子
日々の記憶は沈んでいるだけ。耕せばまた出てきてくれる。
漫画家・矢部太郎さんと、お父さんで絵本作家のやべみつのりさん。
東村山市・多摩湖町で過ごした日々は、太郎さんの漫画『光子ノート』や『ぼくのお父さん』、そして、みつのりさんの絵本へとつながっています。
子どものころには当たり前だった風景が、大人になって振り返ると、作品の原風景になっていた。
思い出を作品にすること。親子だから見えている景色。そして、日常が記憶として残っていくこと。
笑いながら脱線し、ときどき話が遠回りしながら続いていく、お二人らしい時間をお届けします。

カラフルだった多摩湖町の日々
ーー『光子ノート』や『ぼくのお父さん』を読んでいると、多摩湖町の景色が本当に鮮やかに描かれています。お二人にとって東村山はどんな場所でしたか?
みつのりさん 東村山に住んで、ちょうど今年で50年になるんですよ。もともとは高円寺に住んでいたんですが、小平市のイラストマップの仕事をいただいて、この辺を案内してもらったんです。緑が多くて、本当にいいところだなと思ってね。
それで都営住宅を申し込み続けて、ようやく当たったのが多摩湖町でした。その年に太郎が生まれたんです。木造の六軒長屋でしたね。
太郎さん 川沿いでしたね。僕が覚えているのは、本屋さんです。橋を渡ると本屋さんがあったんですけど、本屋さんというより、昔のお店をそのまま本屋にしたような感じで。畳の部屋に本が平積みされていて、「絶対、もともと本屋じゃないよね」っていう(笑)。
あと「にちりょう」っていう駄菓子屋さん。そこでスーパーボールを買って、川の土手で向こう岸まで投げて、跳ね返ってきたのをキャッチする遊びをよくやっていました。
みつのりさん 夏になると西武園の花火ね。あれは本当に近かった。
太郎さん 漫画にも描きましたけど、家が揺れるくらいだったんです。しかもちょうど夜8時頃で、『カトちゃんケンちゃんごきげんテレビ』が始まる時間なんですよ。テレビが「ガガガッ」って映らなくなって、「志村けんさん見たいのに!」って(笑)。
あとから武田砂鉄さんとラジオでその話をしたら、「僕も同じ景色を見てた」って盛り上がりました。東村山市民には西武園の入園券が配られていたんですけど、武田さんは東大和だったから「東村山いいなあ」って(笑)。
—— それも東村山らしい思い出ですね(笑)
太郎さん そうですね(笑)。冬は多摩湖の堤防でダンボールをソリ代わりにして滑ったり。
デイキャンプ場では縄文土器を作って野焼きをしたり。今思うと、皆さんにはあまり日常じゃないかもしれませんけど(笑)。
みつのりさん 廃材をリアカーで運んでね。急に焼くと割れちゃうから、二日くらいかけて少しずつ温度を上げて。
太郎さん 僕らにとっては、それが普通だったんですよ。どんぐりを拾ってコマを作ったり、やじろべえを作ったり。
春にはつくしを採って食べて、狭山公園ではキノコや山芋を探したり。自然の中で遊ぶことが、本当に当たり前でした。今思うと、多摩湖や狭山公園がすぐ近くにあったことは、とても贅沢だったんだなと思います。

『光子ノート』は、東村山の人が一番楽しめる
ーー『光子ノート』を読んでいて驚いたのは、思い出を「思い出話」として描いていないことでした。本当に、その場で見ていたことがそのまま残っています。
太郎さん もともと、このノートがすごく好きだったんです。父が描いたスケッチや文章って、何かを説明しようとしているんじゃなくて、本当にその日にあったことだけが書いてある。道にどんぐりが落ちていたとか。枯葉がいっぱい降ってきたとか。
子どもって、それだけで楽しいじゃないですか。その目線がずっと残っているのが面白くて。漫画にしたあとも、「やっぱり本当にすごいのは、このノートそのものだな」と思っていました。だから、いつか出版したいとずっと思っていたんです。
ーー『ぼくのお父さん』を描く前からですか。
太郎さん そうですね。『ぼくのお父さん』より前から、「いつか本にしたい」と思っていました。でも、複写だけでもとんでもない量で(笑)。
途中で「これは一日二日じゃ終わらないな」と分かって、自宅でコツコツ続けました。
ーー 読んでいると、40年以上前の日常とは思えないくらい生き生きしています。
太郎さん 父のノートって、編集者に向けて書いたものじゃないんです。締め切りもないし、「売れる本を書こう」とも思っていない。猫が好きだから猫を描いている。子どもが転んだから描いている。ただそれだけなんです。だから、生なんですよね。
今の子育てエッセイとも少し違う。誰かによく見せようとしていないから、そのまま残っている。そこがすごく面白いと思いました。
みつのりさん 出版なんて全然考えてなかったですからね。鈴木志郎康さんという詩人の方がいて、「続きを書いて」「また見せて」と言ってくださって。だから交換日記みたいな感じだったんです。
ただ、生きていることを書いていただけ。本当に、それだけなんですよ。
ーー でも、その「それだけ」が、50年後に一冊の本になる。
太郎さん そうなんですよね。記憶って、不思議です。一つ思い出すと、その周りまで一緒に戻ってくる。「あの道があったな」と思うと、その日の空気や、一緒に歩いていた友達まで思い出す。
だから『光子ノート』を描いている時間は、思い出しているというより、もう一回その頃を歩いているような感覚でした。東村山の方からは、「私もあそこ通っていました」とか、「あのお店知っています」とか、たくさん声をいただきました。
「自分の子どもの頃を思い出しました」という声も多くて、うれしかったですね。
みつのりさん 「あ、あそこだ」って分かりますからね(笑)。

日常は、作品になる
ーー『光子ノート』を読んでいると、作品って特別な出来事ではなく、毎日の積み重ねから生まれているように感じます。
みつのりさん そうですね。あの頃は、自分が何のために絵を描いているのか分からなくなっていた時期だったんです。東京へ出てきて、デザインや広告の仕事をしていましたけど、「これでいいのかな」と思うことが多くて。
そんな頃に、詩人の鈴木志郎康さんや絵本作家の木葉井悦子さんと出会ったんです。「とにかく書いてみなよ」って。それで結婚して、子どもが生まれて。
「もう一回、自分も子どもと一緒に生き直してみよう」
そんな気持ちになったんですね。
太郎さん 父は『ぼくのお父さん』にも描きましたけど、子どもが生まれたことで世界の見え方が変わったんですよね。
子どもの目線で見ていると、本当に全部が新鮮なんです。
どんぐりが落ちていることとか。枯葉が舞っていることとか。
大人になると見過ごしてしまうことが、子どもにとっては全部事件なんですよ。『光子ノート』には、それがそのまま描いてある。だから読んでいると、自分も子どもの頃の感覚を思い出せるんです。写真とは少し違うんですよね。
父が一度見て、感じたものを通して描かれているから、その日の空気まで伝わってくるような気がします。
ーー『光子ノート』を読んだからこそ、『ぼくのお父さん』が生まれた部分もあるんでしょうか。
太郎さん ありますね。このノートを読んで、「漫画にできるかもしれない」と思ったのが最初だった気がします。でも漫画にしてみたら、「やっぱり一番いいのはノートそのものだな」と思ってしまって(笑)。
だから、どうしても出版したかった。誰かに読んでほしいというより、「これは残したい」と思ったんです。
ーー 誰に向けた本なんだろう、と考えながら読んでいました。
太郎さん 誰なんでしょうね(笑)。でも、誰かのことを大切に思ったことがある人には届くんじゃないかな、と思っています。
すごく個人的な記録なんですけど、その気持ちはきっと普遍的なんですよね。だから東村山の話ではあるけれど、東村山だけの本ではない。でも、東村山の人はきっと一番楽しめる(笑)。
みつのりさん そうそう(笑)。

後ろから見守るということ
ーー みつのりさんのお話を聞いていると、「子育てをする」というより、「一緒に世界を見ている」という印象があります。
みつのりさん 親って、自分が子どもだったことを忘れちゃうんですよ。だから、どうしても前に立ってしまう。「ああしなさい」「こうしなさい」って。
でも、それだと子どもの面白いところは見えないと思うんです。
僕は、なるべく後ろにいたい。もちろん命に関わることは止めます。
でも、それ以外は子どもが自分で触って、自分で驚いて、自分で覚えていく方がいい。その方が絶対に面白い。
ーー「後ろにいる」という言葉が印象的です。
みつのりさん 子どもって、大人には思いつかないような世界を見ていますから。だから、危険のない範囲なら、好きなようにやればいい。
その時間を一緒に見ている方が、僕は楽しかったですね。
太郎さん そう言われると、確かに「教えられた」という記憶はあまりないですね。一緒に遊んでいた記憶の方がずっとあります。縄文土器を焼いたり、多摩湖で遊んだり。
普通の家から見ると少し変わっていたのかもしれませんけど(笑)。
僕らには、それが普通だった。
ーー その「普通」が、そのまま作品になっている。
太郎さん そうですね。『ぼくのお父さん』もそうですし、『光子ノート』もそう。振り返ってみると、あの頃の時間が全部つながっていたんだなと思います。
父はずっと変わらない人なんですよ。
今でも工作しているし、紙芝居を作っているし(笑)。
僕の方が成長して、離れたり、また近づいたりしている感じですね。
中学生くらいの頃は少し距離もありました。父が絵本を描くたびに「どう?」って見せてくれるんですけど、その頃はもう絵本を読む年齢じゃないから、「いいんじゃない?」くらいしか言えなくて(笑)。
それで少し気まずくなった時期もありました。でも、大人になって、『ぼくのお父さん』を描いて、また父と一緒に講演をしたり、親子展をやったり。
気がついたら、子どもの頃より話すようになっていました。
親子展で見えてきたもの
ーー 昨年、倉敷市立美術館で開催された親子展では、お互いの作品を並べて見ることになりました。
太郎さん 絵本の原画を、あれだけまとめて見るのははじめてだったんです。筆の跡がそのまま残っていたり、紙の質感だったり。「ああ、いい絵だな」って、あらためて思いました。
父の絵って、すごく自由なんですよね。温かくて、明るくて。倉敷という土地で見たからなのかもしれませんけど、その明るさがすごく伝わってきました。
それから、自分の子どもの頃の鳥の絵とか、ドミノとかが展示されていて(笑)。
「あんな立派な美術館に、自分の小さい頃の絵が飾られる日が来るとは……」と思いました。
みつのりさん どこの家にも、子どもが描いた絵や作ったものはあるんですよ。でも、みんな捨てちゃうでしょう。僕は、「なんで捨てちゃうんだろう」って思うんです。
はじめて書いた字もそう。そのときの気持ちが、全部そこに入っているんですから。だから残しておきたい。
今度また親子展をやるなら、光子がつくった絵本や紙芝居も並べたいですね。どこの家にもあるような日常だけど、その子にしかない時間でもあるから。

日常の記憶は沈んでいるだけ
ーー お二人のお話を聞いていると、「記憶」というものの捉え方が、とても似ているように感じます。
太郎さん 『光子ノート』を描いていて思ったんです。記憶って、なくなるわけじゃないんですよね。普段は忘れているんです。でも、ふとした瞬間に戻ってくる。
例えば「あの道を歩いたな」と思っただけで、その日の空気まで一緒によみがえってくる。だから懐かしむためというより、今の自分をもう一度考え直す時間になるんです。
子どもの頃のことって、過去の出来事じゃなくて、今の自分につながっているんだなと思いました。
ーー 思い出すことで、自分の現在も見えてくる。
太郎さん そうですね。だから『光子ノート』を描いている時間は、「思い出を描いている」という感覚ではなかったんです。
もう一度、その景色を歩き直しているような感じでした。
その頃の自分が見ていたものを、今の自分でもう一回見直しているような。
それがすごく面白かったです。
みつのりさん 井上洋介さんという絵本作家がね、
「忘れることはない。耕すんだ。沈んでいるだけだ」
って、おっしゃっていたんです。僕は、その言葉がずっと好きなんですよ。
一度見たこと。一度感じたこと。一度体験したこと。
それはなくなるんじゃない。
自分の中に沈んでいるだけなんです。だから、耕せばまた出てくる。
太郎さん 『光子ノート』を作っていて、本当にそう思いました。一つ思い出すと、その周りまで一緒に出てくるんですよ。
「あの帰り道にはあの花が咲いていた」
「あのとき友だちがこんなことを言っていた」
一つだけじゃない。景色ごと戻ってくるんです。
みつのりさん だから、人は忘れないんですよ。忘れたように思っているだけ。ずっと心の底にある。

土を耕すということ
ーー「耕す」という言葉も、とても印象的でした。
みつのりさん 昔ね、長屋がなくなって、更地になったことがあるんです。その土地を畑にしてもいいことになって。毎日、土を耕していました。土を触っていると、本当に気持ちがいい。
「ああ、生きているなあ」って思うんですよ。野菜が育つことももちろんうれしいんだけど、土を返して、草を抜いて、また種をまいて。
そういう時間そのものが、生きていることなんです。
だから、記憶も同じなんでしょうね。放っておけば眠っている。でも、少し耕いてあげると、ちゃんと出てくる。
太郎さん ……何の話してるの(笑)。
(一同笑)
みつのりさん (笑)。でも、本当にそう思うんですよ。
変わっていく風景と残っていくもの
ーー 東村山も、この数十年で大きく変わりました。
太郎さん 変わりましたね。駅も高架になってきましたし、学生の頃にアルバイトしていた釣り堀の小島園もなくなりました。
子どもの頃の景色は、少しずつ変わっています。
でも、それは寂しいことばかりじゃないんですよね。まちは変わるものだから。
だからこそ、「今」をちゃんと見ておきたいと思うんです。
今日見ている景色も、何十年かしたら思い出になる。
そう思うと、今この時間も少し特別に感じられるんですよね。
みつのりさん 昔はね、長屋だったから、隣のおばあちゃんが普通に家へ入ってきたりして。道を歩いていれば、誰かと「今日はいい天気だね」なんて話したり。暮らしがもっと見えていたんですよ。
団地になって、コンクリートの壁ができて。便利にはなったけれど、少し寂しくなった気もします。でも……今の日常も、きっと未来の誰かの思い出になるんだろうね。
太郎さん そうですね。今という時間も、きっと誰かが思い出す景色になる。だから残しておきたい。本も、漫画も、写真も、そういう「今」を未来へ渡していくものなんだと思います。
志村けんさんと原田泰造さん
ーー 東村山といえば、お笑いの世界ではやはり志村けんさんの存在も大きかったのでは。
太郎さん そうですね。ずっと誇らしかったです。芸人になってから一度だけフジテレビの食堂でお会いする機会があって、「東村山なんです」とご挨拶したら、「頑張ってね」って言ってくださったんです。
短いやり取りでしたけど、今でもすごく大切な思い出です。
あと、原田泰造さんとも番組で地元の話になって。一緒に東村山第四中学校の校歌を歌ったんです。そしたら途中で「あれ?」って(笑)。
「これ、中学校じゃなくて回田小学校の校歌じゃないか!」って。
最後に学校名が歌詞になっていて、そこを歌う時に気がつきました(笑)。
そういう話ができる人がいるのも、地元っていいなと思います。

記憶は耕す度によみがえる
「忘れることはない。耕すんだ。沈んでいるだけだ」
対談の最後に、みつのりさんが紹介してくださった井上洋介さんの言葉です。お二人のお話を聞いていると、思い出とは、過去を懐かしむためのものではなく、今の自分を見つめ直すためにあるものなのだと感じました。
『光子ノート』に描かれているのは、特別な出来事ではありません。道にどんぐりが落ちていたこと、枯葉が舞っていたこと、家の前で遊んだこと。そんな何気ない日々の積み重ねが、何十年もの時を経て、一冊の本になりました。
東村山の風景は少しずつ変わっています。それでも、日常は誰かの記憶の中に残り、ふとしたきっかけで鮮やかによみがえる。
「今の日常も、きっと未来の誰かの思い出になるんだろうね」
みつのりさんのその言葉が、このインタビュー全体を静かに包んでいるように思いました。
撮影|田島ふみえ(街の写真館 東村山)
撮影場所|多摩湖ふれあいセンター
